青山久教授・山口容子医師が掲載された新聞記事

“患者”から“消費者”へ(下)、社会的要求を受けて立つ

1996年(平成8年)3月22日(金曜日)中日新聞より

診察室のいすに腰を下ろすやいなや、四十歳になったばかりというその男性の額から、じわじわと冷や汗がにじみ始めた。

何かを言いたいのだが、言葉が見つからない。いや、言いたいことはあるのだが、うまく口にすることができないらしい。

「どうなさいました?」
精いっぱいの優しい問い掛けを受け、自分を奮い立たせるように、男性は腹の底から声を絞りだした。

「お願いします。ハゲを治して下さい。このままじゃ、駄目なんです。仕事にも自信が持てません」
よくよく見ると、側頭部の生え際に、やや後退の兆しが見える。

「まだ軽い方なのに。」
愛知医大病院(愛知県長久手町)形成外科医師の山口容子さんは、そんな第一印象をグッとのみ込んで、もう一度優しくほほ笑みかけた。

形成外科内に、県内初の脱毛症専門外来として、「ヘアクリニックセンター」が置かれたのは、昨年暮れのことだった。毎週月曜日の午後と、山口さんが一般外来を担当する日にも、診察を受け付けている。

初診で治療内容を決めた後、投薬治療のほか、植毛または軟部組織拡張の手術にかかる。軟部組織拡張術というのは、毛がある部分の頭皮の内側で風船を膨らまし、引き伸ばしたその頭皮で、脱毛部位を覆ってしまうやり方だ。

「脱毛症って、若い人たちにとっては特に深刻な病気なんですよ。十代後半から二十歳代前半の人たちが、心まで病んだような顔付きでやって来ます。町の医院やエステから見放され、最後の希望と勇気を抱いて大学病院へ来るんです。それにこたえなきゃ、医者になったかいがありません」
山口さんは、口元を引き締めた。

「育毛なんて医者がやることじゃない---と、よく言われます。形成外科の場合、足の指を手にくっつける手術とかをしていると、何となく最先端を走っているような気になれるでしょう。でも、『学問』と『医療』は、おのずと違うものなんですよ。」
こう指摘するのは、同科教授の青山さんだ。

「『医療』というのは、社会的要求にこたえることだと思います。他の多くの職業と同じです。相手が『患者』だろうと、それとも『消費者』だろうと、そこに社会的要求があれば受けて立つのが、プロフェッショナルというものじゃないでしょうか」
あくまでも淡々と、青山さんは言ってのけた。

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